2017.5.19
ジムに行ってるだけなんですけどね、
「全佐藤」の話の続き。を。
いま、ジムに行っていて、ゴールデンウィークがあったのでその明けからスタートしたとすると2週目、なんですけど。
今、その習慣化のプロセスの途中にいると思っています。
で、全佐藤、ってのは、佐藤が100人いる、ってイメージなんですね。
国会とか、まあ、村議会でもいいんですけど、そういうやつ。
で、そのうち20人は、①急進派の連中。
で、20人は、ふるーいことにこだわって、何言われても動じない、②頑固な連中。
その他、60人は、③決まったことを淡々とやり続けるだけの連中。
いま、僕は、「ジムに行く」ということをこの③の連中に言い聞かせている、
説得している、そういう時期、なんですね(自分の中ではそういうイメージをえがいている)。
それはどういうことか、っていうのを説明させていただきます。
まず、①の連中、っていうのは、すごく素直で、動きも早くて、「感情」っていう一瞬のものに反応して、すぐに動いてくれる連中なんです。
僕としてはコントロールしやすい連中。
助かります。ジムに行こ!って思ったら、そいつらが動いてくれるんで、とりあえず入会届けを書いたり、最初の何日かは頑張ってくれるやつら。かわいい奴らです。
…ただしこいつらは、体力が無いんで、すぐに息切れしちゃう。
①の連中だけを頼っていると、なにか始めたことも長続きしない。
で、②の連中は、いっつもつまらんことばっかり言って、まったく自分からは動こうとしない連中。僕は無視しています。
問題は、③の連中。最大派閥の「現状維持党」のやつらです。
彼らは、基本的に、「これまでやってきたこと」を忠実に実行するんですけど、最大の派閥なので、佐藤、という人間に対して、ものすごい影響力があるんですね。
さらに、①のやつらみたいにすぐには動かない。
じっくり考えて、長いこと繰り返されてきたことを忠実に、まじめに、繰り返す。
あんまり賢い、っていうふうには、思わないんですが。
でも真面目だし、全佐藤への影響も大なんで、むげには出来ない。
…で、
今、ジムに行っているっていうのは、③の連中を説得している、っていうイメージがあるんですね。
なぜなら、彼らがいうことを聞いてくれたら、ジムに行くことは苦にならないから。
正直、肉体改造の意味ではいまんとこまったく数値的に変化が無いんですが、
いまは③の多数派を説得している時期なので、
と思うことで、継続できています。
結果が出るのはあとでいいや、ということです。
まずはジムに行く、ということがあたりまえのことになるようにしてから、体重とか、上げれる重さとか、そういう結果を期待しよう、ということです。
おかげで、とりあえず今日までは、ジムに行き続けられてます
全佐藤、の概念、伝わっていますか?
また今後も、繰り返しお伝えしたいと思っています。
全佐藤
おれ(佐藤)のなかには、何人かの佐藤がいる。
その全員をうまくまとめていく。
そうすることで色んなことを可能にする。
全佐藤、という概念にたどり着いた。
やべー
3日も更新してない
今週は月曜から水曜まで次のようなパターンでした。
1.帰宅
2.ジム着の洗濯
3.夕飯
4.ひとやすみしようと思い、布団でうだうだ動画見る
5.そのまま寝る
のパターンで…
4.ひとやすみしようとする、のが
いかんので、このプロセスを変えたいと思います
ジムで美女の映像を見る 2017.5.12
ジムへ行くと、有酸素運動しながらテレビを見られます。
今日は 美女特集。それも、芸能人ではなくて、ふつうに町にいる、美女たち。
唐突ですが、僕はめんくいです。
が、美女とお話することは、なかなか出来ません。
ですが面食いなのでネットでそういう映像とか見るのは好きです。
ですからそういう審美眼には自信があります。
そういうこともあって、しょうじき、そんな大したことないんじゃないの?とおもっていました。
同じ番組に女優さんとかもゲストで出ているから、「それと比べると、まぁ、普通?」ってな感想を抱くことになるんだろう、日々は絶えることなく続くのだろう、とタカをくくって、見ていたのですが。
結果、すげえ美人ばっか。文句なしの美人たち。
最近のテレビは性能が高くて、女性のシワとか肌のキメとか目立つけど、そんな中でも本当にかわいいこばっかりだった。なんかいいんですよね、雰囲気が。
だって、女優さん・モデルさんって、要は「あたしのカワイさでどこまで行けるか」みたいことで人生かけて勝負してる人たちじゃないですか。
自他共に認める美女、ってわけで。(それはそれで、「自信のあるその美しさ」が世の女性たちに勇気を与える、みたいなことではあるんですが、ちょっとそれは後日一冊の新書にまとめて出版させていただく、ということにして。)
それに比べると、その「巷の美女たち」ってのは、多分、たぶんですけど、「かわいいとか言われることはそりゃああるけど、べつにその美しさで勝負するわけじゃなくて普通に保育士とかになりたい」みたいな崇高な精神をお持ちなわけじゃないですか。
その崇高さにすでにかなり惹かれるんですよね。
しかも、頑張れば、こんな僕でも普通に出会えて、もしかしたらお付き合いできるってことも、、、と考えると余計に、ジムでとくに鍛えてないはずの部位が緊張してきちゃいますよね。
で、最初は良かったのですが、
テレビを見ながらだんだんと
暗い気持ちになってきたんです。
だって、そんな美女たちも、(彼氏いないとか言っているやつもいたが)そのうちすぐに、俺とルックスとか収入の大して変わらない男たちと、「優しかったから」とかいうもっともらしい理由をつけて、手をつないだり、一緒にオムライスを食べたり、パフェを食べたり、流行のラーメン屋に並んで入って、たいして会話もしないまま食べるだけで出てきて、無言のまま入ったスタバでコーヒー飲んで「あんま美味しくなかったね」とか他愛のない会話をしたり、金曜の夜に会社帰りのままでふたり夜を越えて、けだるい土曜の朝を過ごして…お昼ぐらいにやっと起きて、熱いインスタントコーヒーをひとつのマグカップで飲んだりするのか…と思うと、ものすごく悶々としてきて…
(その逆に、例えば上戸彩が見た目もボス感のある方と結婚するのは、まぁ、なんというか長いものには巻かれろ感があって、なっとく、という感じなのですが)
…いつも以上に、有酸素運動にも気合がはいりました。
ただ、本当にヤりたい、と思ったのなら、そうやってひねくれて、ねじくれて、ふさぎこんでいるよりも、「自分にはどうしたらこんな美女と付き合えるんだ」を考えて対策を練って、スキルを上げる、練習をしていく、というほうが、はるかに前向きですよね。
まだまだだなぁ、俺は。
ほんとうにまだまだ。
ただ、前向きに捉えるとしたら、「そういう自分の未熟な部分に気づいている」ということで、その点は褒めてよいんだ、と思います。
以前の僕ならばそういういじけた殻にとじこもることに甘んじていたと思うので。
…自戒を込めて。
反応的であること、そして、自分に言い聞かせるそうでないこと
先日、里帰りで会った自分の親は、反応的なことばかり言っていた、ということをブログに書きましたが、その補足。
反応的である、というのは、自分以外の人・モノ・環境が自分に対して行ってくる何かに対して、応答、ということです。
そうするのは、あたりまえ、と思う方もいるかもしれませんが。
・「○○さんがこんな言い方するから、職場の雰囲気が悪いのよ…」
・「こうなったらもっとうまくいくのに、あの人ったらこうなのよ…」
これらはすべて反応的な言い方であり、私の親が口にするのは、ほとんどがこんなことでした。
でも、私は、「そのこと、ものを、自分がどうにかできるか?」という観点から考えたい、と思います。
というか、日々、そういうふうに考えようとしています。
そして、①どうにかできるなら、それをするし、②どうにかできないなら、無視します。
そして③それをうまく判別します。
この3か条を、まぁ、いまは未熟ですから100%実行できていないんですけど、どんどん出来るように、日々、繰り返していく、ということです。
日常の中で何かイベントが起こったとき、その3か条に照らすことで、いったん、冷静になったうえで、どうするかを決めたい、と思っています。
2017.5.11
今日もジムに行ってきた、
とにかく行くこと、を心がけています、習慣化するために。
今はお仕事が楽なので、会社帰りにジムに行くのは、億劫じゃないです。
ただ楽しさは、、、
昨日スタジオでズンバやりましたがあれは楽しいです。
ワクワク探し活動は ちょっと休止。
頭で考えたのは…
未来っぽいこと(iPhone、自動運転車、Iot、ドローンetc)は、
たしかにワクワクするが…
それをやりたい、仕事にしたい、ってのは、あんまりそうでもないかな?
同様に、映画・音楽・スポーツ、これらは「熱狂する」から、好きだし、楽しい。
けど、それはあくまで消費者として楽しむため、じゃないかな?
映画が大好きで、映画監督になった、っていう人もたくさんいるけど、
俺は…そういうタイプじゃないかも、、、、
かといって… 死ぬほど映画をたくさん見て、それのレビューをする、いわゆる評論家、っていうのも、「そんなに死ぬ気で見るほどのことじゃないぞ」という気持ちがある。
音楽・スポーツも、自分でやる、よりは、受け手に回って、楽しむという…
うむ…今日はこれくらいにしといてやるかw