2017.4.25
今日は 7つの習慣を読んだ。
1つ目の法則は、主体性を発揮すること。
これは「嫌われる勇気」とか、「史上最強の人生戦略マニュアル」でも
言われていたことと同じだと思った。
自分で選び取る、ということ。
昼休みに、同じ会社の人宛てにかかってきた電話がやや横柄で、声が小さいんですけど、とか言われ、軽くへこんだ。
でも、その後、これで傷ついたなぁ、と思うか、気にせずいるか、それさえも選べるのかもしれない、と思った。
今は、まだ、そんなにスッと切り替えは出来ないが、少なくとも本で読んだことがあるんだ、と思うことで、「気にしないでいられるかもしれない」と思う余裕があった。
ジムに行った。ぷるぷるしている。心地よい疲労感。
ジムに行く一番の理由は「前向きになれること」で、その実感はまだ無い。
でも、ひとつ気づいたことがあった。
僕はこれまでも、何度か、ジムに行ったりジョギングをしたりしていて、うまく始められれば、基本的には肉体を鍛えることは好きだ。
だがその半面、心・精神を鍛えることはまったくしてない。
疲労感や筋肉痛の向こうに、肉体の成長がある、と信じているからこそ、わざわざ疲れるジムに行く。
だったら精神も、痛い思いを避けて逃げてばかりじゃなく、飛び込んでいって、鍛えてこそ、成長があるんじゃないのか、と、(まだ心の根底の部分で理解できたと言える自信はないが)思ったりした。
精神は責めすぎると折れてしまうので注意が必要だが、
そんな風に前向きにとらえて考えてみたことは今までなかったので、驚き。
2017.4.24
今日気づいたこと
俺は、山小屋に住みたい、と思った。
土地と家(コンテナハウス的な小さい家)を買って、
山奥で、ひとり生きる。
それは本当に、もしそうなったらいいなぁ、と心から思える願いなんだけど。
なぜそうなのか、を考えると、多分それは、人を恐れている、ということなんだろうな。
こうしてくれないかな?という期待とか、こうしてほしい、って伝えたこととか、
他人って、基本、そういうことには答えてくれない。そして、予想もしないことを人は俺に対してしてくる。
心がざわざわする。ほっといてくれ、と思う。
他人との接点は最小限でいいや、って、そのほうがいいや、って思っている。
山小屋に住む、というのはそういうわずらわしさから逃れたい、という気持ちの現れ、なんだろうと思う。
だったら、逆に考えると、もし、他の人と良好な関係が築けたら、
きっと、山小屋に行かなくても済むのではないか、と思った。
なので、今日は「傷つかない方法」とか、「恐怖 克服」とかで検索をした。
すこし検索するだけで、いい情報があったので、早速ここにメモしておこうと思う。
こころのシャドウ、(なんかすごくかっこいい文言)…。
これが俺の中にも、いるなぁ…照、と思いました。
この方向で、もう少し掘り下げていきます。
あとは「恐怖 克服」 でヒットしたこちら。
挿絵はいまどきペイントで作ったぽいけど、それも含めて、突き抜けた感じのある、こちらのウェブサイトは、すごく憧れる。
まさに俺は「自分の車を大事に大事に、傷がひとつもつかないよーに」生きているからだ。「傷だらけで、たとえ今日あたらしく傷がついてもどれが新しい傷か分からない」なんていうのはもはや、境地だ。こんな風にたくましくありたいと思う。
あと、7つの法則、積ん読になっていたのをまた読み直しています。
文章が明瞭で、スッて読めます。
興味が湧いた本:
フィクションですが…
たまにはいいじゃないの?
若者が夢を追う、みたいな話なんでしょう?知らんけど。
2017.4.23
今日は、部屋で、自己啓発系の本に書いてあるとおり
いろいろノートに書き出す、ということをやった
正味の時間は
11:00~12:00
13:00~16:00
17:00~17:50
4時間50分くらいか?
天気も良かったし、気持ちよく作業できました。
ただ成果のほうは、どうかな。あまりしっくり来なかったな。
とりあえずこの方法を試してみた、というくらいで。
もっと別の方法で探すべきかもしれない。
あと、
心の面では、
やりたいことを、押し殺しているんじゃあないの、と。
「恐怖」なのかなぁ、と。
ほどほどの人生で、ほどほどの恐怖、ということに安住してしまっているのかも、
リスクを取らず、成功も失敗もほどほどの…
かも、というのは、それを認めることがそもそも怖いので。
これまでの自分はそういうものを見ないようにすることで正気を保っているような気もする。
それを認めてしまえば、大変なことになりそう、というような。
そこを乗り越える手段は、なんだろう?
なんか、映画で見たことがあるような、トラウマ?を克服していく、
セラピー・催眠術的なものでないと、
乗り越えられないのかも、しれない、、、、
かも、ばっかりですね。
次にやってみること:
瞑想を始めるために本を読む
2017.4.22
歯医者に行った。
お昼過ぎ、知り合いの人にお茶に誘われるも、どう考えても他愛のない話で終わりそうな相手だったので(ワクワク活動にはつながらなさそうだったので)、
丁重にお断り。
ジム。まずは軽めに、ということでトレッドミルの歩きだけ。
ワクワク活動としては本を読んだこと。
史上最強の人生戦略マニュアル。
現状を認めなさい、ということだった。
つまり、大学生の住むような木造アパートにしか住めない34歳契約社員である、
という現状を「ヤバイぞ」と思わなきゃいけない、ってことか?
心のどこかで「やばいかも、でも俺の人生ならこんくらいの住まいで我慢するしかないんじゃないの」と思っているところがあるのかも。
まだはっきりとわからない。
長いこと押し隠してきたせいか?
そういう意味でのハングリーさは、あの日から殺してきたからか?
あの日、俺は、中学生で、体育の時間、だった。
バスケの試合で、体のデカイ同級生にラフプレイされて、「おい!」ってそいつに怒りをぶちまけようとしたけど、その声で振り向いたそいつがやっぱりカラダがデカかったのでビビっちまって、やさ〜しく「ナイスプレーだよ」とボソっと言ったんだ。
あの日から俺は恐怖が勝つことをゆるしてきているのかもしれない。
2017.4.19
2017.4.19
今日やったこと
人生を決める成長スイッチをオンにする、という本をちょっとだけ読む。
「ワクワクすること」で引っかかった本で、安くなっていたので買っただけだったのですが、意外と、いいことが書いてありました。
人間は「無意識」によって行動をしばられている、ということ。
無意識、を意識するには、習慣化すれば良い、ということのようです。
もう少し読み込む必要があります。
実家に帰省するための、長距離バスの予約。
選択肢と金額にばらつきがありすぎて、逆に時間がかかる。
とはいえ、貧乏人には助かる。
新幹線の代金を躊躇せずに支払えるレベルの金持ちになりたい。