反応的であること、そして、自分に言い聞かせるそうでないこと
先日、里帰りで会った自分の親は、反応的なことばかり言っていた、ということをブログに書きましたが、その補足。
反応的である、というのは、自分以外の人・モノ・環境が自分に対して行ってくる何かに対して、応答、ということです。
そうするのは、あたりまえ、と思う方もいるかもしれませんが。
・「○○さんがこんな言い方するから、職場の雰囲気が悪いのよ…」
・「こうなったらもっとうまくいくのに、あの人ったらこうなのよ…」
これらはすべて反応的な言い方であり、私の親が口にするのは、ほとんどがこんなことでした。
でも、私は、「そのこと、ものを、自分がどうにかできるか?」という観点から考えたい、と思います。
というか、日々、そういうふうに考えようとしています。
そして、①どうにかできるなら、それをするし、②どうにかできないなら、無視します。
そして③それをうまく判別します。
この3か条を、まぁ、いまは未熟ですから100%実行できていないんですけど、どんどん出来るように、日々、繰り返していく、ということです。
日常の中で何かイベントが起こったとき、その3か条に照らすことで、いったん、冷静になったうえで、どうするかを決めたい、と思っています。
2017.5.11
今日もジムに行ってきた、
とにかく行くこと、を心がけています、習慣化するために。
今はお仕事が楽なので、会社帰りにジムに行くのは、億劫じゃないです。
ただ楽しさは、、、
昨日スタジオでズンバやりましたがあれは楽しいです。
ワクワク探し活動は ちょっと休止。
頭で考えたのは…
未来っぽいこと(iPhone、自動運転車、Iot、ドローンetc)は、
たしかにワクワクするが…
それをやりたい、仕事にしたい、ってのは、あんまりそうでもないかな?
同様に、映画・音楽・スポーツ、これらは「熱狂する」から、好きだし、楽しい。
けど、それはあくまで消費者として楽しむため、じゃないかな?
映画が大好きで、映画監督になった、っていう人もたくさんいるけど、
俺は…そういうタイプじゃないかも、、、、
かといって… 死ぬほど映画をたくさん見て、それのレビューをする、いわゆる評論家、っていうのも、「そんなに死ぬ気で見るほどのことじゃないぞ」という気持ちがある。
音楽・スポーツも、自分でやる、よりは、受け手に回って、楽しむという…
うむ…今日はこれくらいにしといてやるかw
2017.05.10(2)
ワクワクすること検索、途中経過。
参考①。
なんかすごいパワーを持っていそうな方の、細かく、具体的なお話。
つらい体験を若い頃にされていて、そこから強い動機につながっている方のようです。
「思い切って家賃の高いところに引越して、それを払うために頭をひねって金を稼ぐ」、というのは、ちょっと、やってみようかなと思いましたね。
参考②
この年(34歳)になってもまだやりたいことなんて探している俺に、①の情報はちょっと辛辣に突き刺さった。実際「自分の好きなことがわからない人は これまでサボっていたから」みたいに書いてあったりして。返す言葉もなくなるよね…。
そんな折、こちらのサイトは俺の背中をプッシュしてくれた。
「自分探しはまともな人にアホだと思われる」けど、それでもやり続けるんだ、っていうこと。さらに、具体的にどうやって探すか、
っていうところまで踏み込んでいる。
大切なのは 「モチベーションを感じるか」「やりたい作業か」の、2つの軸。
なるほどなるほど、と思いました。
2017.5.7
いつもの流れでTwitterを眺める。
デイリーポータルZの古賀及子さんのTweetが流れてきて、つい遡って見てしまう。
僕より年上でありながら、くだらないこと(ご本人には申し訳ないが)をやって記事にして、子供もふたりいて、そしてEDMとFXを嗜む、という高尚な趣味をお持ちだ。
世の中にはこんな人もいるのか、ということで、すこしワクワクした。
僕もハウスミュージックを聴いたりするのは好き(フェスに行ったりクラブに行ったりしていた時期もあったし)ということも親近感が湧くが、とくに「くだらないことをまじでやっている」の部分がムム、と思った。
こんなことやって何になるの、と、脳内でおれが言うが、
同時にそれをすげえ!って思っている俺もいるのも確か。
憧れ。
ちょっと、発見。